重力に逆らってる場合か?!

働き盛りが会社を売り払って遊んでる様子を。(重力ってのは幻想らしいですよ)

板橋に行ってイタリアン料理を食う

殺人的な職場・回想

急に思い立って一緒に働いたことがある、後輩の店に行く。

おれは元コックだったのだ。10年ぐらいやった。

彼とは90年代前半のハンパじゃなくつらい仕事を一緒にやった。どのくらいハンパじゃないかと言ってもなかなか書くことができないが・・・

 

まず、仕事が終わらなくて寝ることができない

なんと7坪の元弁当屋の居抜きの店で、多いときで450人のパーティー料理と150人分の弁当を作っていた。 普通あり得ないと思うでしょ。 でもやったのだ。

2日前から用意を始めてタマネギ2ケース、にんじん2ケース、タケノコ30キロなんてのを(煮物の材料ね)皮むいて、一口大に切って、でっかい寸胴3つで何回かに分けてゆでる。

それが終わると魚180切れをオーブンで焼いて、飯を20キロ研いで、コロッケ200個揚げて・・朝から夜中の3時、4時までやってふらふらになって仕込み中に立ったまま寝ちゃう。

 

仕事にならないので交代で2時間寝て、明け方からまず弁当の盛りつけ、配達、パーティー料理の盛り込みと配達、明日の発注、パーティーのかた付け、皿洗い、掃除、また片づけ、フロ入ってメシ食って・・・終わりではない。

 

翌日もその翌日も仕事は入っている。

また魚介と青物とボイルしながらチキンをオーブンで焼いて、フライヤーではポテト40キロ揚げ続けて、卵250個をボイルして殻むいて半分にして黄身を取り出し、パッセしてマヨネーズと併せて当たりして絞り袋に入れて白身に絞り出した上に一つづつキャビアを載せ・・・。

死んじゃうよ、これw
って仕事をやっていた時期がある。 週末はいつもこのとおり。いったい何十時間働いてるのでしょう、3日で50時間?

ちゃんと作れるイタリアン

ちゃんと作れるイタリアン

 

 

彼はまじめで、時間にはきちっとしていたし、ちゃんと帰って(バイトだったので)万全の体調で仕事に来てくれたので、私たち*1にしては救世主に見えましたね。

彼は私が去ったあと何軒かお店を変えて修行し、まだ若いんですが2年ぐらい前に自分の店を出しました。 毎正月に必ず、明けましておめでとうございます とコックでもない私に電話する律儀な人間です。

で、板橋に行く

 

私は今度行くよ、と言いながら一度も後輩の店に行かない人情のかけらもないひどいヤツです。

でもとうとうランチに一人で行きました。病気の治療で池袋に通っていたからだけどね。 池袋から隣?の駅と、意外と近い。


おもむろに座ってランチを注文。
彼は目を丸くして、俺がよぅ、と言うまで私の顔を見ていました(笑)

赤ワイン頼んで、おかわりしてランチ食って。うまかったよ〜。大盛りにすりゃ良かった。
考えてみたら彼の料理は15年前の戦時中のまかない以来です。

しかし彼の味がパスタに出ています。

忘れません、マサキの味だ〜、と思いました。不思議だね。

よかったら行ってみてください。


オルト
http://www.itabashi-life.com/backnumber/shop18/index.php板橋をもっと楽しく!もっと便利に! いたばしらいふ.com

 

遅い時間に行ったのですが、次々と人が来て盛況でした。
夜に行ったほうがいいです。ワインとか、どんどん頼んでお金をガンガン使ってください。
よろしくおねがいします。

 

※某ブログからの転載 日付は当時のまま

*1:俺たちは経営者なんでどんな過重労働しても文句を言う相手がいない。ってか、そんな仕事取らなければいいんだけど、借金が厳しかった